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私は、柔道整復師の 今井駿太(いまい しゅんた) です。 駿太先生 トリミング        

1986年(昭和61年)生まれは横浜、育ちは広島、

大学は北海道と東京。

今井家の長男としてこの世に産み落とされました。

家族は両親と弟と妹の五人家族で、

母親とは今でも帰省すると

朝まで話すほど仲がいいです。

そして大学時代によさこいという踊りを通じて新潟に訪れた際、

知り合った女性と結婚して、今では一児の父親として奥さんの地元である新潟で暮らしています。

私は大学を卒業して東京で接骨院とは無縁の舞台役者を仕事としてやっておりました。

ただ幼少の頃から父親にマッサージをして褒められていたのもあり、素人ながら友人や先輩に頼まれてはマッサージをしておりました。

ある舞台本番の休憩中に当時の座長からあまりにも腰が痛いからもんでくれと言われ、精いっぱい気持ちと力を込めてマッサージを行った所、治るどころか立てなくなるほど痛みが強く出てしまったのです。

その日は急遽整形外科に行き、痛み止めを打って舞台にやっとこさ立つことは出来たのですが、私はその時に(なぜ治そうと一生懸命マッサージをしたのに逆に辛くさせてしまったのか)と怖く、そしてとにかく悔しいと感じました。

私にちゃんとした知識があればこんな事にはならなかったのにと。

ちなみに座長はもともと中度のヘルニアを患っていたそうです。

そこから私は調べていくうちに国家資格である柔道整復師という仕事があると知り、専門学校に通い三年後、無事国家試験に合格。

そして専門学生時代に実技の講師として来ていた世田谷区で開業している先生のもとに弟子入りをしました。

修業時代は月から土まで朝六時半には出勤し、業務が終わった後も施術の方針や方法などを院長とカンファレンスしていたので自宅に帰ってくるのが夜中の一時を過ぎる日もありました。

休日の日曜日は、バレーボールやマラソンなどのスポーツの救護に行かせてもらいテーピングやストレッチを行っていました。

修行中の四年間で骨折や捻挫などたくさんのケガを見てきました。もちろんヘルニアの方もたくさん見て勉強してきました。それは過去の怖く悔しい思いを繰り返さないために。そして自分と知り合ってくれたたくさんの人たちの体を良くしてあげられるようになるために。

平成31年。令和になる一か月前にお米、お酒が好きという理由から奥さんの地元でもある新潟に引っ越してきて東京で学んできたものを活かせる職場と探していたら「もくらい整体院」を縁あって知り、院長である江口先生と一緒に仕事をするようになりました。

私はとにかく毎日を楽しくをモットーに生きています。

楽しくするためには笑顔が無いとダメなんです。

ただ笑顔は、痛みで減ってしまうのです。

私はその痛みを改善するためのサポートを致します。

楽しさを奪取するために。

これから一緒にお身体改善していきましょう。

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